2012年8月29日水曜日

原子力政策・福井県の歩み55年

福井工業大学の来馬教授から原子力立地地域の福井県の話を伺いました。
 

全国の25%、関西の55%の発電をし、商業炉13基の原発を抱えている福井。40年間、県独自で観測や調査を続け、事故やトラブルの情報を公開することによって原発に対する住民の理解と信頼を得てきたと話してくれた。ここまでになるまでに、さまざまな反対運動や議論を経験してきたようです。

半世紀にもわたり、原発と共生してきた立地地域の原発に対する認識と知識は多く、おのずと意識も私たちのものとは異なるように感じました。

福井県は原子力・放射線の専門知識をもった人材育成に力を入れているようですが、未来がないような風潮になっている原発のことを学ぼうとする若い人材が不足することへの懸念を示していました。

河瀬敦賀市市長とも懇談させていただきましたが、原子力を地場産業としている地域の原子力に対する冷静さに驚きました。




高速増殖炉もんじゅ

ウラン資源の有効活用を目的に技術開発が進められてきたもんじゅ。
1991年5月に試運転が開始し、1994年4月に初臨界。95年12月にナトリウム漏れ事故が起こり、その後、改造工事など行われながら現在に至っているようです。

今回は、もんじゅの視察をしました。冷却材としてのナトリウム材の扱いを学ぶ研究棟も見ました。

高速炉は高レベルの放射性廃棄物の体積を圧縮できることや100年分しかないウラン資源をプルトニウムに変換することによって数十世紀以上利用できるという。

こうした考えとは別に、科学の分野に造詣の浅い私としては、高速増殖炉の技術というものは人間が取り扱えきれる技術なのか、不安な面もあります。

導入シナリオは、2040年にはフランス、韓国で実用化、2050年には中国、インド、ロシアで実用化を計画している。

昭和55年以降、建設。運転など含めて研究開発費は総額9656億円という数字をどう捉えるのか。これまで蓄えてきた高速増殖炉の技術の保持をどうするのか。将来の負担を追う世代のことも考えると、課題は一層大きく感じます。

2012年8月23日木曜日

産経土木常任委員会がありました

ぐんままちづくりビジョンの審査を行いました。人口減少時代、超高齢社会を迎え、人口密度が低い市街地が拡散している群馬の現状を、まとまりのある町へと転換させていくための基本的な考え方を示していました。
パブリックコメントも19件寄せられたようです。多くの意見もありましたが、9月上旬に公表される予定です。

2012年8月22日水曜日

持続可能な財政計画をたてるために

昨日、「公会計改革による行政経営の革新」シンポジウムがありました。ちょうど読んでいた本「失われた30年」の著者である神野直彦先生が記念講演でした。
北上市、京都府精華町などの行政コスト計算と財務諸表作成の事例などの発表があり、興味深かったです。
  県会議員になって、県の予算を初めて予算を見た時、フローしかない財政運営と、財政の中長期的な見通しがなされていないことに驚きを感じました。

 持続可能な行政経営のためには、ストックの把握をすることが前提です。そうした、共通認識を持って責任ある予算を編成する必要があると思います。

 昨年の一般質問で、県に資産の把握をお願いしました。県は財産活用推進室を設置し、4月から長寿命化を進めるための資産の把握を始めてくれました。資産の把握には、施設、建物だけでなく機器備品の把握も必要です。

「自律なくして自立なし」、自律の端緒は財政の「見える化」である。そのためには、やはりストックを把握していく必要があるでしょう。


2012年8月15日水曜日

群馬県戦没者追悼式

群馬県戦没者追悼式が開催されました。献花をさせていただきました。

今の私たちの繁栄と幸せは、祖父たち曾祖父達の祖国や家族の幸せを願った犠牲の上にある、と改めて、思いました。

その心を思い、今を大事に生きて、将来につなげていかねば。そして、次の世代の幸せは私たちの努力と汗の上にできる、のだと思うと、頑張らねばと思います。

もしも、戦争で祖父が亡くなっていなかったら、いや戦争に行かなかったら、父の人生はどうなってただろうかと考えていた時、「戦争で親父が亡くならなかったら、、人生は変わってたろうなぁ。」とつぶやく人がありました。

様々な人が、それぞれの思いを胸に抱いて、追悼式に臨みました。